サブスクリプションサービスやSaaS(Software as a Service)型サービスの台頭に伴って「アップセル」「クロスセル」というキーワードが広く浸透してきました。SaaSばかりでなく、あらゆるビジネスにおいて、顧客単価を上げるために「アップセル」「クロスセル」という手法が重要であることが、広く理解されるようになったことの表れでしょう。

一方で「アップセル」と「クロスセル」が混同されてしまったり「アップセル」「クロスセル」の実現に必要となる本質部分を見誤ってしまったりして、「アップセル」「クロスセル」という言葉だけが一人歩きしてしまっている状況も見受けられます。

本稿では「アップセル」「クロスセル」を、2つのキーワードの違いから再整理した上で、「アップセル」「クロスセル」を効果的に実践していくために必要な勘所を解説していきます。

「アップセル」と「クロスセル」の違い

「アップセル」と「クロスセル」を効果的に実践していく方法について解説していきたいと思いますが、その前に、そもそも「アップセル」「クロスセル」の違いと、その意味をしっかりと押さえていく必要があります。
 

そもそも「アップセル」とは?

売上を向上させるために企業が考えなくてはならないこと

「アップセル」とは、ユーザーに現在利用してもらっているプランよりも、より高額なプランへとアップグレードしてもらうことを表します。

身近な例を挙げると、携帯電話料金を「月々4,000円/8GBプラン」から「月々5,000円/10GBプラン」へ乗り換えてもらうようなケースが「アップセル」に該当します。
 

そもそも「クロスセル」とは

クロスセルはクロスする関係性に着目

「クロスセル」とは、ユーザーが利用しているサービスと関連した別サービスを導入してもらうことを表します。

身近な例を挙げると、自社の携帯電話回線を契約してもらっている顧客に、Wi-Fiをセットで利用してもらうようなケースが「クロスセル」が該当します。
 

なぜ「アップセル」と「クロスセル」がLTV最大化に重要なのか?

LTV(顧客生涯価値)は、1人の顧客がある期間を通じてどのくらい購入してくれるかを把握するのに非常に重要な数値です。
 

LTVとは? なぜLTVを考えることがSaaSビジネスにとって重要なのか

LTVは一般的に以下の式で算出されます。

   LTV=顧客平均購入単価 × 平均購入回数

LTVを把握しておくと、1人の顧客が、顧客であり続ける期間、どのくらいの利益をもたらしてくれるかが分かります。つまりLTVをもとに顧客獲得のためにどれだけ広告費にまわせるか、キャンペーンにどれだけ投資できるかが把握できます。

仮にLTV<CAC(顧客獲得単価:顧客を1人獲得するためにどれだけお金をかけることができるか)だった場合、顧客が増えれば増えるだけ赤字が増えてしまうので、ビジネスを続ける意味がありません。

企業が順調に成長していくためのLTVの指標は

   LTV>3CAC

が目安と言われています。

特にサブスクリプションサービスを展開しているSaaSビジネスは、新規顧客を獲得するために多額の投資を行い、サブスクリプションで長い期間をかけて回収するという形態を取っています。ビジネスの継続を判断する意味でも、LTVは厳密に算出する必要があります。SaaSビジネスでは、LTVは以下の式で算出します。

LTV = ARPU(ユーザー平均月次単価)× 粗利率 ÷ Net Revenue Churn Rate(解約率)

ビジネスが成長を続けるためには、LTVを増やすことが必須です。そのため、解約率を下げると同時に、ユーザーの平均単価を上げなければなりません。

参考:LTV(顧客生涯価値)とは?LTV最大化に必要なアクションまとめ
 

「アップセル」「クロスセル」は顧客単価を上げるための重要手法

顧客単価を引き上げるための手段としては、大きく分けて2つあります。

  • 値上げする
  • アップセル/クロスセルを行って、購買額総体を引き上げる

顧客にとって価値があるアップセルやクロスセルを行うことで、顧客満足を得ながらLTVの増加も果たせるのです。
 

アップセル/クロスセルが注目されるようになった背景

注目の背景にはメリットが隠れている

なぜ「アップセル」と「クロスセル」が、近年になって重要視されるようになったのでしょうか。

アップセル・クロスセルは古くからある手法でした。しかし近年になって重要視されるようになったのは、以下の2点の理由からです。

  1. 新規顧客の獲得コストは既存顧客の維持コストに比べて高いから
  2. 既存顧客から得られる収益は新規顧客から得られる収益よりも高いから

米大手コンサル会社ベイン・アンド・カンパニーの名誉ディレクターであるフレデリック・F・ライクへルドは「1:5の法則」を提唱しています。「1:5の法則」とは「新規顧客を獲得するコストは既存顧客を維持するコストの5倍かかる」というデータを表す法則です。

また、Pacific Crest社の「2016年SaaSベンチマーク調査(英語)」によると「アップセルで1ドルの収益を上げるためのCAC(顧客獲得コスト)は、新規顧客を獲得するコストのわずか24%に過ぎない」というデータも発表されています。

参考:戦略的な「顧客価値の提供」とは?スターバックス・ザッポス社の事例をもとに解説

参考:CAC(顧客獲得費用)とは?計算方法やSaaSビジネス健全度の計測手順を解説

つまり、アップセル/クロスセルによって既存客から収益を上げることは、新規顧客から収益を上げるよりも遥かに効率的であり、アップセル/クロスセルに取り組むことは企業経営の効率を向上させるメリットがある、と考えることができるのです。

そして、上記CACに関するデータからも分かる通り、アップセル/クロスセルによる収益向上は、投資家が重要視する「LTV:CAC」の数値を目に見える形で向上させます。

そこで企業の側は既存顧客と接点を持ち続け、顧客価値を提案し、育成を続けるという戦略を取るようになりました。売り切り型のビジネスではなく、顧客との信頼関係を築くことで、より多く購入し、より長く顧客であり続けてもらうように戦略を転換したのです。

とりわけ、サブスクリプションサービスやSaaS型サービスは、売り切りのサービスと比べて、長期的に顧客との接触機会を持つことができるため、アップセル/クロスセルを実現しやすい環境にあります。

そのため、サブスクリプションサービスやSaaS型サービスの事業主が増えることに比例して、アップセル/クロスセルの考え方が注目されるようになったのです。
 

顧客ロイヤリティの向上とカスタマーサクセスを通じたアップセル/クロスセルの実現

顧客の成功に伴走するカスタマーサクセスがカギ

では、経営効率向上の鍵となり得るアップセル/クロスセルを、どのように実現していくべきでしょうか。

具体的には2点の方法があります。

  1. 顧客ロイヤリティの育成
  2. カスタマーサクセス
     

顧客ロイヤリティの育成

あらゆるビジネスにとって、売上を向上させるためには顧客にリピート購入してもらうことが必須です。さらにSaaSビジネスにとっては、チャーンレート(解約率)をさげ、リテンション率(継続率)を上げることが、ビジネスを維持し、成長させるための生命線となっています。

ここで最も注視すべき点は「顧客ロイヤリティです。

アップセル/クロスセルを成功させる確率は、顧客ロイヤリティの高さに相関します。Cisco社のセールスオペレーションディレクターであるペグ・ニコルズ氏は、以下のように発言しています。

「価値実現は、導入からオンボーディング、採用を通してすべてを網羅します。(中略)価値実現が、アップセルとクロスセルの取引につながるのです。」

また、アップセル/クロスセルを主題にしたものではありませんが、Emotion Tech社の調査では以下のデータが発表されています。

  • アパレルブランドにおける1回あたりの購入単価…ロイヤリティの高い顧客はロイヤリティの低い顧客の1.3倍

反対に、顧客ロイヤリティが低い企業へのアップセル/クロスセル活動は、その活動が成功しづらいばかりでなく、顧客の離反にもつながりかねません。
 

カスタマーサクセスによる一貫した顧客支援

ロイヤリティの高い顧客へと育成するためには、諸々の施策を散発的に、あるいは属人的に行うのではなく、一貫した方針の下で、組織的なカスタマーサクセスへの取り組みが必要となります。

アップセル/クロスセルを実現するためには、NPS(Net Promoter Score)などの手法を用いて、顧客ロイヤリティを数値化して計測しながら、タイミングを定量的に見極めることが重要です。
 

アップセル/クロスセルは目的ではなく健全な顧客育成の結果

顧客育成に基づかないアップセル/クロスセルの提案は、顧客にとっては押しつけにしか感じられず、結果的に顧客離反を招くことになってしまいます。アップセル/クロスセルは目的ではなく、顧客ロイヤリティがはぐくまれている結果だということを理解する必要があります。
 

アップセルにつなげるプライシング

プライシング戦略を知ろう

アップセルを実現する上では、プライシングも非常に重要です。

自社のビジネスに最適なプライシング戦略とは、どのようなものでしょうか。以下に一例を示している通り、プライシングも様々な形に変化してきています。

各プライシングのメリット/デメリットを整理しておきましょう。

  • 定額プライシング
    金額が一定であるため、顧客にとって分かりやすく始めやすいプライシングです。一方で、顧客によってカスタマイズができないため、チャーン(解約)が発生しやすいプライシングとなります。
     
  • 使用量ベースのプライシング
    「使った分だけの支払いでOK」ということで、顧客にとって使い始めるハードルが低くて、新規顧客を獲得しやすくなります。一方で、各顧客の売上がどのように推移していくかを予測しづらいのが難点です。
     
  • 機能ベースのプライシング
    顧客の利用状況に応じて、アップセルを仕掛けるタイミングが見えやすいのが機能ベースでプライシングした場合のメリットです。

    機能ベースでプライシングのメリットは、顧客の利用状況に応じて、アップセルを仕掛けるタイミングが見えやすいことです。一方で、どのプランを選択すべきかが難しく、顧客にとって導入しづらいプライシングとも言えます。
     
  • フリーミアムモデルのプライシング
    「無料」で始められるため、顧客数の獲得が容易となることがフリーミアムモデルのメリットです。一方で、有料プランへの切り替えは非常にハードルが高くなります。
     

Sansan社のアップセルの取り組み事例

SaaSモデルの名刺管理システムで急成長したSansan社では、アップセルの実現にむけて「タッチポイントを増やし、CS(カスタマーサクセス)の視点でアップセルを意識する」ことに注力をしているようです。

そのために、CS専門の部署である「カスタマーサクセス部」を立ち上げ、経験豊富なハイクラス人材を採用しています。

中でも、CS部は「チャーン(解約)阻止」の意識が強く、営業は「エクスパンション(拡大=アップセル)」の意識が強い、という役割分担がなされている点が非常に興味深いところですが、この役割分担が「カスタマーサクセスによる顧客ロイヤリティ向上」と「アップセル」が両輪の関係にあることを明確に表しています。
 

Dropbox社のアップセルの取り組み事例

Dropbox社ではアップセルを促進するため、次のような面白い取り組みをしています。

それは「Dropboxのサービスを知人に紹介してくれたら、あなたのディスク領域が増えます」という紹介キャンペーンです。

このキャンペーンの狙いは以下の3つです。

  1. 口コミや紹介の発生
  2. ユーザーのDropboxに対する関わりを深め、顧客ロイヤリティを向上させる
  3. 既存ユーザーが新規ユーザーを招待するたびに、ユーザーが所属する企業内で利用者の輪が大きくなり、Dropbox Businessへのアップグレードの可能性を高められる

1つ目の狙いは分かりやすく、容易に想像がつく狙いだと思います。特に興味深いのは、2つ目と3つ目の狙いです。

ユーザー数を増やす必要がある場合、「Businessプランへのアップグレードを勧めるメッセージ」が表示されるそうです。

顧客ロイヤリティの向上とアップセルを一手に実現させる離れ業ですね。

筆者もそうですが、実際にこのDropbox社の紹介キャンペーンを利用したことがある方も、大勢いらっしゃるのではないでしょうか。
 

継続的な育成と提案でアップセル/クロスセルを実現しよう

アップセル/クロスセルが顧客単価を引き上げ、SaaSビジネスの収益性を高める上で欠かせない手法であることがご理解いただけたことと思います。

そして、アップセル/クロスセルを成功させる秘訣は「カスタマーサクセス」にあるということもご理解いただけたのではないでしょうか。

顧客が引き続き商品やサービスの購入を続けるためには、購入後にも商品やサービスの価値を発見し続けなければなりません。アップセル/クロスセルの成否は、カスタマーサクセス部門が効果的な接触を定期的に行うことにあります。

「カスタマーサクセス」を、属人的な能力に頼らず仕組みで実現して行くことができれば、サブスクリプションサービスやSaaS型サービスは大きく成長していくことでしょう。

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元記事発行日: 2019年11月08日、最終更新日: 2022年1月12日

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